依存症が治った人は、底付き感をどこかで経験しています。
パチンコ依存、アルコール依存、買い物依存・・・どんな依存にしても、同じような経験をするとされます。
底付き感とは何かについて考えてみました。
自分のことが突然見える瞬間
パチンコ依存を例にします。
それまでの金策をしてパチンコ屋に通う努力をしていたときに、突然そのような努力を放棄してしまう。
「何をやっているんだろう?」という虚脱感とともに、自分がしてきたことを一気に思い出して、涙が流れたりする。
失った信頼、お金、時間、人生の機会を思い出します。
このように、底付き感とは、虚脱感とともに自分を客観視することです。
現実と向き合う瞬間、と言い換えることができます。
依存症は不合理な行動
そもそも依存症は、不合理な行動です。
- パチンコ依存は、お金、時間、信頼、多くのものを失ってもパチンコ通いがやめられない。
- アルコール依存は、酒のせいで多くのものを失ってきたのにお酒がやめられない。
- 買い物依存は、無駄な買い物を繰り返して、虚しいだけの散財をやめられない。
- 仕事依存は、家族の信頼を失ったり、健康を害するような働き方をしているのに、仕事から離れられない。
それが馬鹿げた行為であることは、依存している人も薄々気づいているものです。
それでも不合理な行動をやめられない。
不合理な行動を支えているのは幻想
そういった不合理な行動をなぜできるのでしょうか。
自分を不幸にするだけ。やめるべき。でも、やめられない。
それは幻想があるからです。
「まだ人生の本番は先にある」「昔〇〇だったから、もうどうなってもいい」「〇〇になればいいだけ」などなど。
不合理な行動を続ける言い訳として幻想は表れます。
この言い訳(幻想)を抱えているから、自分を不幸にするだけの行動を続けられるのです。
現実を否認して、言い訳(幻想)に執着している状態です。
底付き感とは幻想を放棄すること
その幻想から目が覚めるときがあります。
幻想を抱えて、自分を不幸にしていることがバカバカしくなる。
あれこれ頭の中で独り相撲をしているのがバカバカしくなる。
底つき感をもつと、「やめられない。じゃあ、病院に相談に行く」という合理的な判断に至ることもあります。
淡々と、自分にとって合理的な行動ができるようになる。
依存症からの脱却は、いかに早く底つき感を持てるかにかかっています。
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