私は20年以上、日記をつけています。20代の中盤くらいからです。
非公開のプライベートな日記です。
その一方で、このブログをライフログにして、日記代わりにする予定です。
「秘密の日記(通常の日記)」と「公開する日記(ライフログ)」の使い分けについて考えてみました。
秘密の日記は人間関係の葛藤が書かれる
いわゆる「日記」というのは、人に見せないものだと考えています。
人に見せないからこそ、どこまで自分の本音を深掘りできます。
家族、友人、職場での葛藤とか、過去のトラウマ、悩みなどを心のままに文章にできます。
文章にすることで、心がすっきりします。
また、後になって読み返したときに、「当時はこんなことで悩んでいたのか」とわかり、自分の成長が見えてきたり、悩み全般について深い洞察が得られたりします。
単に「今日はスタバに行った」なんていう行動記録なら秘密にする必要はありません。人に読まれる可能性があると、そういう「見られても問題ない内容」ばかりになってしまいます。
それでは日記をつける醍醐味を味わうことができません。やはり日記を書く以上は、絶対に人に見せないようにした方がいいです。
私はそういう日記を20歳中盤から20年以上つけていますが、高校時代から日記をつけておけば良かったとつくづく思います。
10代の頃の心象風景を知りたいです。歳取ると思い出せないんですよ。残念。
公開する日記の役割
秘密の日記が基本です。そういう日記をつけていながら、なぜ公開する日記を書く必要があるのか。
それは、人に読んでほしい内容があるからです。
たとえば、パソコンを買ったとします。気に入っている部分とか、気に入らない部分とか、あれこれと誰かに話したくなります。購入パソコンのレビューですね。
こういうのは、「秘密の日記」に書く気がしないんです。パソコンを買った事実については軽く触れても、長々とそのパソコンの批評を秘密で書く気はしません。
その手のレビューというのは、誰かに聞いてほしいのです。誰かに伝えたいわけです。
そういう日常の経験は、誰かと共有するからこそ、書く気がするのです。
そのために公開する日記があるわけですね。公開するからこそ書く気になり、書いたからこそ備忘録として活用できたり、過去の記事を読み直して懐かしんだりできます。
ちなみに、公開する日記は友人とのおしゃべりに近いですが、友人に「購入パソコンのレビュー」を長々と話しても、相手は興味を持たないと思います。ブログという形で一方的に書くのが一番です。
ということで、公開する日記には特有の役割があり、ブログは廃れることはないと思います。
面白いのは秘密日記を公開すること
個人ブログの中には、秘密の日記に書くようなことを公開されている人もいます。
身バレギリギリで、周囲とのトラブルや葛藤をあけすけに綴っている。ブログだけでなく、X(twitter)などでポストしている人もいます。
そういう文章は読んでいて面白いです。ドラマを見ているようでハラハラします。
それらを書いている人たちは、個人的な悩みや葛藤を誰かに話したいのだと思います。
秘密にするか公開するかの境界線は人それぞれですね。
私はそういったプライベートなことは公開したくないタイプなので、公開できる内容は「◯◯買った。その感想」「◯◯を読んだ」「◯◯を考えた」といった無難な内容ばかりになります。
まさに備忘録・メモのようなもので、人が読んでそれほど面白いものではないと思います。それでも、ピンポイントでニーズがあえば、誰かの役に立つこともあるかなと期待しています。
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